放浪旅
富良野線は広い旭川駅の外れにあるホームから発着する。それもほとんどの場合、たった1両。寂しい雰囲気を想像しがちだが、実は車内は大混雑。早く乗っていれば良かったのだが、駅構内で弁当を探し回っていたらあっという間に時間が過ぎてしまった。しかも予想外に人が多く、駅弁も売り切れていた。
乗客のほとんどは大きなバッグを荷物にした観光客とおぼしき人々。夏ならともかく、冬の美瑛や富良野に観光なんて・・・と思ったが、富良野が近づくとそれも納得。周辺の山々にはスキー場が目立った。ちなみに上の画像は、雲を被っているが十勝岳。裾野の広い、雄大な山だった。
車内は混んだまま、終点富良野に到着。小雪が舞っていた。
富良野から乗り換えたのは根室本線。根室本線は道央の滝川から日本最東端の根室までの路線で、今でこそトマム・占冠・新夕張を突き抜ける石勝線が札幌と道東を結ぶルートになっているが、かつては(といっても20年以上も昔の話だが)この路線は大動脈だったのである。
その名残があるのか、本数は少ない路線だが車内はそこそこの乗客数だった。
富良野から石勝線との乗換駅・新得までの間には、あの高倉健主演の映画「鉄道員(ぽっぽや)」のロケ地となった幾寅駅があるのだが(映画ではたしか「幌舞駅」だった)、旅乞食としてはあえて観光名所には降り立たず、その手前の東鹿越駅で下車する。なぜなら、夕暮れの金山湖を見たかったからである。やや雲が多いものの、期待を抱かせる空模様だった。
あまり下調べをして出かけるような旅はしたくない、しかし夕暮れの時間はきちんと把握して良い画を撮りたい、いつもこんなジレンマがある。今回は行程の都合上、調整できず16時を少し回った頃の下車となってしまったが、1月2日という時期と山奥であることを考えると、やや遅かった。
しかも、東鹿越の駅から金山湖に掛かる橋までは歩くと15分程度かかる。駅前はすでに湖面が広がっており、橋も見えるのだが、歩けど歩けど着かない。終いには凍結している道だというのに小走りになっていた。必死になると何でも出来るものだとつくづく思う。
湖は完全に凍結していて、その上に雪が積もっていた。湖面にテントがいくつか見えるが、ワカサギ釣りの人々だろうか、発電機か何かのモーター音が耳に届く。何とか夕暮れには間に合ったが、ご覧のとおり画像はお粗末なものになった。恥ずかしながら、最初のうちは息が上がってブレた。
やがて完全に日が沈むと、後方から美しい月が湖を照らした。しばらくじっとしているせいか、身体も冷えてきた。それでも本来なら凍りつくような寒さのはずに違いない。何しろ北海道のほぼ中央の山中、酷寒の地のはずである。
次に乗る列車は決まっていたので時計を見ながらの撮影で落ち着かなかったが、時間ギリギリまで、指先が凍りつく寸前まで(?)湖上にかかる橋の上で粘った。日没と夜の間の時間帯、白い湖の風景はどことなく不気味であったが、美しくもあった。
東鹿越駅までの帰路、誰もいない道を雪を踏みしめながら歩く。忘れた頃に車がすれ違うが、ここもまた無音≠ネ世界だった。夕暮れ前に通ったときは気付かなかったが、明らかに人の住んでいない家屋も目立つ。これらの風景も、不気味な湖の風景を演出しているのかもしれない。
東鹿越駅の待合室には、駅舎のある無人駅に必ずといっていいほど置いてあるノートがあった。
パラパラとめくると、夏にこの駅で泊まった旅人や、何気なく立ち寄ったビジネスマンなど、様々な人が一言二言、書き残していた。ここでは明かさないが、旅乞食もそこに思いを綴った。
趣味が悪いといわれるのは十分承知だが、風景写真を撮る者にとって夜の無人駅というのはとても良い被写体であると思っている。上の画像は列車が来る直前なのだが、まるで時間が止まったまま永久に動かないような錯覚に捉われた一コマである。
しかし、残念ながら(?)列車はやってきた。あっという間に過ぎた1時間余り。静寂に包まれた湖と駅に別れを告げて、この駅唯一の乗客となった。車内は空いており、乗った自分は案の定、異様な視線を浴びた。
こうして、数十キロを歩き、雪の眩しさに目を細め、湖上から夕暮れを見つめた、動と静の旅は終わった。新得までの30分間は安堵感からか、熟睡してしまった。厳冬の北海道というには遠い寒さではあったが、今回も旅の終わりの充実感に満たされ、また旅に出ようという気になっていた。
新得駅前のライトアップ。雪が少ないのは除雪が行き届いているだけではない気が