大阪市内から近鉄電車で富田林駅まで30分。駅から徒歩10分。
ひっそりとした佇まいを残すお寺や町家を巡りながら、お手軽な歴史散歩に出かけてみませんか? 皆様のお越しをお待ちしています。
Tourist guide to Jinaimachi town, Tondabayashi, a historic district and heritage site of Japan,Travelogues by Author - Series Vol. 59 Bilingual guided tour on August 16-17, 2018 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
「歴史まち歩きバイリンガルツアー2018夏」を特別自主企画で開催しました。今年の夏は、全国各地で最高気温を更新する記録的な猛暑日が続いています。厳しい暑さの影響が出ているのか、今年の夏は富田林寺内町への来訪者数が例年よりも減少しているそうです。 8月17日(金)は午前10時に御参加者9名がじないまち交流館二階集会室にご集合頂きました。この日は朝から爽やかな秋晴れに恵まれました。連日の猛暑から一転、暑さが和らぎ、湿度も下がって時折秋風が吹き渡りました。集会室でコース概要を御説明の後、まち歩きをスタートしました。普段のボランティアガイドツアーでは回らない、富田林寺内町の縁(へり)を時計回りに一筆書きのようにゆっくりと歩いて巡りました。今回もじないまち交流館の小野さんにカメラマンをお願いしました。 |
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じないまち交流館 2階集会室(レクチャー) |
じないまち交流館からガイドツアーに出発 |
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前半は北縁に設けられた濠跡(現在は道路)、飴屋口、北口地蔵、(旧)巡礼街道の道標、東高野街道の入り口(北方)に当たる一里山口(高札場跡)、材木商で栄えた越井家住宅、(旧)万里春酒造・酒蔵、富栄戎神社、山中田坂、じないまち展望広場の順に回りました。東縁に位置するじないまち展望広場からは石川越しに遠く金剛・葛城連山や二上山を望みました。 |
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北口地蔵・(旧)巡礼街道の道標 |
城之門筋・一里山町 |
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城之門筋・一里山町 |
一里山口(旧・東高野街道) |
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越井家住宅・米蔵(右)・富山町 |
越井家住宅・母屋 |
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(旧)万里春酒造・酒蔵・南会所町 |
じないまち展望広場 |
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その後、舌状にせり出した南縁の段丘崖から石川河川敷に下りました。戦国時代に土塁が築かれた跡は鬱蒼とした竹林に覆われ、下草が生い茂る山家(やまが)坂を下りながら、約10メートルの小高い河岸段丘の上に築かれた富田林寺内町の高低差を実感して頂きました。石川河川敷の竹林の中にひっそりと立てられている、明治時代の明星派女流歌人・石上露子の小板橋跡の案内標をご案内しましたが、竹林付近は多くの藪蚊が出て、早々に退散しました。 |
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木口家住宅・城之門筋 |
山家坂(やまがさか) |
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山家坂 |
向田坂 |
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東高野街道(南方)からの入り口に当たる向田坂、幕末に吉田松蔭が逗留した仲村家住宅(大阪府登録有形文化財)、(旧)杉山家住宅(国の重要文化財、富田林市が管理)を巡りました。いよいよ西縁に入ると、明治時代に移設された(旧)南河内郡役所跡の石垣、1730年に寺内町北部を焼き尽す大火をくい止めた言い伝えが残る西口地蔵、本堂大屋根を覆う屋根瓦の葺き替え工事をようやく終えた半倪山浄谷寺(融通念仏宗)、明治中期に立てられた民家の(旧)田中家住宅(登録有形文化財、富田林市が管理)を巡りました。 |
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大阪府登録文化財・仲村家住宅 |
国の重要文化財・(旧)杉山家住宅 |
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(旧)南河内郡役所跡の石垣 |
西口地蔵 |
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(旧)南河内郡役所跡の石垣 |
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浄谷寺口 |
(旧)田中家住宅・母屋内部 |
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浄谷寺 |
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旧家の母屋に入ると、天井や床が高く、建物内部はひんやりとした空気に包まれています。徒然草を書いた兼好法師が、「日本の家は夏を旨とすべし」と書き残した趣旨がよく理解出来ました。地球温暖化の進行で、兼好法師が思いもしなかった猛暑の夏をどのように凌ぐのかますます知恵が試されているようです。 |
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本町公園・石上露子の歌碑 |
本町公園・織田作之助の記念碑 |
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そして最後に本町公園で寺内町にゆかりの明星派女流歌人・石上露子の歌碑や晩年を富田林で過ごした小説家・織田作之助のご案内をしました。御参加者全員で、記念撮影の後、現地解散しました。御参加の皆様、残暑の中をお疲れ様でした。じないまち交流館の皆様、開催に際して御協力ありがとうございました。 |
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ご参加者全員で記念撮影(本町公園) |
じないまち展望広場 二上山(左)・葛城山(右)を望む |
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じないまち散策MAP | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
お店のインフォメーション(Food, Beverage,Guest House, Accessary & Handycrafts, Massage) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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じないまち探訪記 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
じないまち随想 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ご感想などお便りをお待ちしています。(管理人) |
(富田林市提供、禁無断転載)
富田林寺内町までの道順
寺内町へは近鉄長野線富田林駅又は富田林西口駅下車徒歩10分です。先ずはじないまち交流館へお立ち寄りください。
散策地図がもらえます
富田林駅前の観光案内所又はじないまち交流館で散策地図がもらえます。
立ち寄ってみたいお店
休憩所(トイレ)
じないまち交流館、寺内町センター、じないまち展望広場にあります。
車でお越しの方へ
寺内町は道幅が狭く、中には公共駐車場がありません。車でお越しの場合には、2014年2月に新しくオープンした富田林市営東駐車場(有料)をご利用ください。一般用の普通乗用車及び団体用のマイクロバス(1台分、市役所に要事前予約)を駐車できます。重要文化財・旧杉山家住宅まで徒歩5分、じないまち交流館まで徒歩15分。
尚、団体用の大型観光バスでお越しの際は、富田林市役所にお問い合わせください。宜しくご協力お願いします。
重要伝統的建造物群保存地区
富田林市富田林町の一部にあたる寺内町は、1997年(平成9年)に国から重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。大阪府下では唯一の指定となっています寺内町にある約500棟の建物の内、江戸時代から昭和初期頃までに建てられた181棟の建造物が伝統的建造物に特定されています。保存地区内において通常道路から見える建物等の外観の現状を変更(増改築、改修、模様替え、色彩の変更、新築、除却など)する時には、予め市教育委員会・文化財保護課に申請して許可を得る必要があります。伝統的民家(町家)は白壁、板塀、格子戸など往時の姿のままに外観の保存・復元・修景作業を終えて、今も人々が生活の場として暮らしながら、素朴で静かな佇まいを今に伝えています。
寺内町の主だった商家には由緒・由来を記した案内板が設けられ、石畳の街路には路面灯を兼ねた道標や案内標識なども整備されています。電信柱の配置や各戸の電気メーターなどもできる限り目立たないような工夫が施されています。
また、寺内町では伝統的な町並み景観に配慮して、新しく建築される建物も周囲の景観に調和した外観となっています。
興正寺別院(富田林御坊)
真宗興正寺派、富田林・寺内町の成立と発展の中心となった寺院です。地元の人からは御坊さん(富田林御坊)として親しまれています。
応永年間(1394-1412年)に毛人谷(えびたに)御坊に草創。 永禄3年(1560年)に京都・興正寺第16世証秀上人が現在地に移建。
城之門筋に表門を開き、鐘楼・鼓楼を構え、本堂・客殿・庫裏などを配する。 表門は桃山調の高いもので、もと伏見城門のひとつが興正寺に寄与されたものをここに移建したと伝えられています。
団体でお越しの場合には、地元のボランティア・ガイドによるご案内も可能です。(事前のお申込みが必要)
ガイドのお問い合わせや事前のお申込みは下記のじないまち交流館までお電話ください。
じないまち交流館
〒584-0033
大阪市富田林市富田林町9-29
TEL.0721-26-0110
FAX.0721-26-0110
(午前10時~午後5時、月曜休館、12月28日~1月4日休館)